東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道で中山道の宿場町が保存されているのは何故?他の街道に比べて山奥で開発が遅れた?明治維新の富国強兵策にダイレクトに貢献する位置になかったから?それとも深い郷土愛がなせる業?きっと全てが「町並みを保全する」という時代の流れと、かろうじて接点を持てたお陰かなぁ。などと考えながら木曽路を後にしました。
中津川から中央道に入り諏訪までひとっ走りですが、食べそこなっていた五平餅をサービスエリアでほおばってから諏訪で降ります。諏訪湖畔の「北澤美術館」へ。ガレ、ドーム、ラリックのコレクションが本当に素晴らしくて木曾の宿場町も、サラッと上書きされてしまうくらい。嬉しいことに友人に頂いたチケットで、もう一度行くことができます。最後の最後に諏訪市立博物館。「三十三番土偶札所巡り」3体の土偶を拝見しました。この博物館には「すわ大昔情報センター」と言うワクワクする名前の部署があるので次回は体力を温存して再訪したいと思います。
ここ2年程、コロナのおかげで混雑なく国内を歩くことができました。オートキャンプ、車泊、ビジネスホテル、旅館を組み合わせて無理なく楽しく旅していきたいです。